【ライトワーカー】辛い時に「閉じる」や「鈍らせる」を選択すると更に辛くなる
生まれてきた意味は、波動をいかに表現するかというところにある
特にライトワーカーは、
自分の波動を、世界に表現し、拡大するために生まれてきています。
怒り、悲しみ、のように
それが、たとえネガティブなことだったとしても
それを、ライトワーカーである「あなたが」表現することに、
とても大きな意味があるんです。
感受性が高いため、自分の感覚を麻痺させるような手段がうまく使えない
あまりにも傷ついたりして、
自分を閉じたり、こもったり、感覚を鈍麻させようと
いろいろとやってみても、
感覚の鋭い人が、中途半端な全身麻酔を打たれた感じになって、
助けや救いにはならないことに気がついたんです。
閉じる、鈍麻させ感じなくする、という手段は、
あなたにとっては負荷でしかない。
なぜならそれは、
あなたがそうしたくて選んだ、あなたに主導権がある状態でないのなら
他者による、もしくは他者のレベルに合わせるための、ディセンション(下降)だから。
他者に合わせて不本意ながら自分の波動レベルを落としている状態なんです。
そもそも、あなたが今感じていることを
いかに「表現」としてアウトプットするか、
波動を表現するか、というところに
生きている目的がある人たちなので、
「表現せずに抱え込む」「我慢」「閉じる」「感覚を鈍らせる」ことの方には
あなたにも、宇宙にも、高次の存在にも
メリットに成り得るようなことが無いんでしょうね。
どんなにこちらの向きで頑張っても
加点が付かず、単位がとれないといったところでしょうか。
そして、これが重要なところなんですが・・・
感受性が高いため、ちょっとやそっとの「麻酔(に準ずること)」をしたところで
普通の人のようには効かないということ。
全身麻酔をしたはずなのに、意識は保たれ(ぼーっとした状態)
体も動く(いつもの3秒遅れくらいの反応速度)
感覚もある(痛みや辛さも、ある程度は感じたまま)
ただクオリティーを下げたあなたになっただけ。
他者の影響で自分の波動レベルを保つことが苦しく辛くなったので、
自分の波動(クオリティー)をディセンションさせた状態とは、
麻酔的な「鈍麻の選択」により、
麻痺が残る状態で
普段の活動をする、みたいなことにしかならないんですよね。
麻痺させたり、感覚を鈍麻させたところで
それが中途半端であれば
体も心も、ただただ動かしにくいだけで、
助けや救いにはならず、更なる負荷となる可能性の方が高いのが、
感受性の高い人たちなんだなって。
数時間休む程度なら、
自分を閉じる、感覚を鈍らせる、というようなことも有効ですが、
そのままを「生きる」ことは、
きっと、大変なはず。
前にも、後ろにも「進めなく」なるって感じるんじゃないかな。